Flying Dutchman フライング・ダッチマン

 

【参考サイト】 pixiv 百科事典

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幻の船。

伝説によればオランダ号を率いていたのは、ヘンドリック・ファン・デル・デッケンという男。

彼は1641年、希望峰を回ってアムステルダムへ行こうとした。そこで幽霊船になったといわれている。

 

最も有名な目撃例は、1881年7月。

証人はジョージ王子。

のちのイギリス王ジョージ5世。(1865~1936)

世界周航中の科学調査船バキャンティ号の甲板にいるときだった。王子は遭遇の様子を航海日誌に自らこう記している。


flying Dutchman  フライング・ダッチマン 

 

幻の船。

伝説によればオランダ号を率いていたのは、ヘンドリック・ファン・デル・デッケンという男。

彼は1641年、希望峰を回ってアムステルダムへ行こうとした。

そこで幽霊船になったといわれている。

 

最も有名な目撃例は、1881年7月。

証人はジョージ王子。のちのイギリス王ジョージ5世。1865~1936

世界周航中の科学調査船バキャンティ号の甲板にいるときだった。

王子は遭遇の様子を航海日誌に自らこう記している。

「1881年7月11日。中間当直の最中に、いわゆるさまよえるオランダ人号が船首を横切った。

それはまず、異様な赤い光となって現れた。

真っ赤に輝く船の光だ。その只中にある相手のマスト、円材、帆は、通常のブリグ型帆船のものの模様。180mほど離れていたが、近づいてくるにつれ、それらも際立ってくっきり見えてきた。

船首楼にいた見張り番は、相手が左舷に近づいてくると、船がいることを報告しにきた。

左舷では、見張りの司令官もブリッジからしっかり見た。

船尾甲板の見習い将校もだ。

彼は直ちにまた報告をすべく前方の船首楼に送り出された。

ところがそこに着くと、形のある船など跡形もなくなっていた。」

 

王子は事実を記録に書き留めている。

「午前の当直のあいだに、今朝最初にこの幻の船がいることを報告した船員が、フォアトップマストのクロスツリーから落ちて即死した。」

さらにパキャンティ号が港に着くと、副長が不治の病で急死してしまった。

 

「さまよえるオランダ人」号の最新の目撃例は、1959年10月。

オランダの貨物船シュトラート・マゲルヘーン号のP・アルグラという船長が目撃。

船長はこう述べた。

「変な突進音がしたと思ったら、とても大きい帆船がこっちに直進してくるのが見えた。

帆は完全に広がっていたし、人が舵輪のところにいるのもちゃんと見えた。

突然来たために、よけることができなかったが、闇にまぎれてしまった。」